1954年、東京で丸ノ内線が開業した頃、フォトキナにてライカM3が発表された。交換レンズに応じて自動的に切り替わるファインダーのブライトフレームや巻き上げレバーなど、当時のレンジファインダーとは一線を画す性能で世界のカメラメーカーを震撼させた。当時ニコンはNikon S2の発売間近で、このM3の登場で幾らかの改良を余儀なくされたとのことだ。
大卒国家公務員の初任給が8,700円であった当時、5cmF1.4付きが83,000円、同5cmF2付きが69,500円だったそうだ。現在の大卒の総合職初任給(224,040円)と単純に比較した場合、F1.4で213万円、F2でも179万円もするとんでもない高級品であった。
S2との出会い
ここからはしばらく私事だが、あえてお付き合いいただきたい。
1950年代後半、このカメラは当時にしては遅めの30代独身貴族であった私の祖父が購入したものだ。前述の値段だが、裕福であったという話は聞かないのでおそらく相当な熱意を持って手に入れたのではなかろうか。1960年、祖母との初デートの際も、祖父はこのカメラで祖母を撮ったそうだ。このカメラで撮り、自家現像された幼い父の写真や若い祖母の写真も幾つも残っている。

それから約60年後、祖父の形見として動かなくなってしまったNikon S2が孫である私の元にやってきた。これが私とNikon S2との出会いであり、私がフィルムカメラを始めるきっかけとなった出来事だ。
ニコンのクラシックカメラの修理について
私はまず、巻き上げレバーがピクリとも動かなくなってしまったこのS2をニコンの修理センターに送った。コールセンターでは頑張ってくれるとのことだったが、結果は一週間もたたずに修理不能で送り返されてきた(笑)
そして、ネットで探し回った結果、品川にある、ニコンOBたちによる修理工房「フォト工房キィートス」さんと出会い、技術者のおじさまに「これなら確実に動くようになりますよ」との心強いお言葉をいただいたのであった。作業工程としては、分解して錆びたギアを一つ一つ磨き、距離計をオーバーホールして、レンズのカビも落としてもらい工賃はたったの6万円台。メーカーすらも諦めた彼らにしかできない修理でこの値段は実質無料だ(沼)

ちなみにS2は布幕シャッターだ。S2に限らず布幕レンジファインダーはキャップが手放せない。レンズキャップをしないときは、レンズを体のほうに向けて持ち運ぶ、ピントは最短距離、絞りは絞っておくなど対策が必要だ。

Nikon S2作例
こうしてまた元気に動くようになったカメラで撮った写真たちを下に紹介したい。






終わり
古いカメラを手にした時、ふと、このカメラは今まで誰の手でどんな景色を写して来たのだろうかと思うことがある。海外のカメラであったり、所々に凹みがあったり、そのキズの一つ一つにそのカメラの歴史が凝縮されている。
このように機械式のクラシックカメラは、製造から70年近く経った今でも修理すれば綺麗な写真を撮ることができる。2、3年で買い替えるスマホと比べると途方もない寿命だ。私はこの時代だからこそ、この価値を後世に伝えていきたい。たとえ売りに出されたとしても、価値を理解し引き継いでくれる人さえいれば、いつか私が死んだ後でもこのニコンは元気に動き続けるのであろう。
このカメラは100年後、どんな未来を写すのだろうか。
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