あしを止めないためのRolleiC35

執筆者:内匠亜

 カメラ3年目の初心者によるスナップ論

 「ストリートスナップに向いたカメラは何か」なんていうのは散々語られ、答えが幾度となく提示されてなお、今現在もスナップに励む人間たちの思考に引っかかり、また再び語られざるを得ない議題だ。

 それは当然、良き撮り手でありたいと常々考えている初心者スナッパーたる筆者とて例外でなく、それ故に様々な機材を手に街へ出ては試行錯誤する日々を送っているわけで、それでもやっぱりまだしばらくは悩み続けるだろうなと、漠然とそう思っている(SWCとかCamboWide使ってみたいし)。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 わが身の未熟さを重々承知の上でそれでもなお敢えて語らせてもらうが、スナップという撮影スタイルはそれ自体が通行人の目線、あるいは被写体から精神的に一歩引いた立ち位置からシャッターを切らせる傍観者の立場、といったようなポジショニングを撮影者に強いるモノじゃないかと思う。

 これは被写体がヒトであろうとモノであろうと何か風景であろうと変わりなく、目の前にあるものをそう有るように撮るという意味だ。

 例えばひとつ話題として、スナップを撮る際被写体に声をかけるか否かというのがあると思うが、実際のところそれはさしたる問題たり得ないのではなかろうか。声をかけずに撮影すればそれは当然被写体そのままの姿となるが、一方で声をかけたとて被写体の内面そのものに撮影者が浸み込むようなことはない。結局のところ撮影者と被写体は十分に隔絶しているからして、スナップである限り被写体は「そう有る」存在であらざるを得ない。

 フレーミングが撮影者の意図で為されていても、同時にフレームの中へ撮影者の影が映りこんではいけないのだ。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 さりとてスナップの撮影者が傍観者であり通行人である以上、やはり動き続ける(通り過ぎ続ける)必要がどうしてもあり、従ってスナップに向いたカメラというのはやはり存在するのだろう。

 個々人に使いやすさの差があるとしても、だ。

 スナッパーはライカを愛する生き物であるかのように書かれた文は方々に散見されるが、しかしそもそも、撮影者は誰でも程度の差こそあれライカは好きなんじゃないかと思う。私だってライカは好きだ。金属の感触と動かしたときのフィーリングがたまらない。

 持ってないけど。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 ライカに代表されるレンズ交換式レンジファインダー機の特徴は静音性とレンズの豊富な選択肢にあるのは自明だ。また比較的大型化しがちな一眼レフに比べ全体的に小さく場所をとらないことも大きなポイントだろう(ここいらまで読んでいただければお気づきだと思うが、フィルムカメラの話しかしないぞ)。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 ただ一方でライカ以外のレンジファインダー機、特にレンズ固定式のカメラはより個性豊かであり、人によってはその機体にしかない特徴が自分のフィーリングへ合致することもあるはずだ。

 例えばハーフサイズカメラは数多く撮れるというだけでなく、デフォルトのフレームが縦長である点やより小型化されたボディなど明確な利点も多く、実際に愛用する人も多い。ミノックスや110フィルム機も、小型化に振り切っているため使われる機会があるだろう。視認されなければ「そう有る」ままの撮影はしやすい。

 しかしながら、純粋にスナップのみを行うという目的で考えたとき、今のところ私の歩調に一番合っているカメラはRolleiC35だ。

CはCheapのC(諸説あり)

 Rollei35シリーズと言えばフィルムカメラ界のマスコット(諸説あり)にしてちょいと高級な愛玩犬的存在(諸説あり)、それでいて令和現在でもナウなヤング(諸説あり)にばかうけ(栗山米菓)な大人気コンパクトカメラシリーズである。

 かわいらしい見た目に反して設計は実にドイツ的と言うか、細かい拘りが各所に配された出来となっている。初期モデルの背板には「MADE IN GERMANY BY Rollei-COMPUR-GOSSEN-ZEISS」と記載されているのは有名な話だが、そう刻まれるに値する名だたるドイツメーカーたちが自信を持って送り出しただけはある。

Rollei C35, Kodak Ultramax400

 残念ながらRolleiC35の場合”GOSSEN”が抜けることにはなるが。

 私の愛してやまないRolleiC35には露出計が搭載されていない。ちなみに1/30より遅いシャッターもない。ついでに言うならボディに樹脂パーツが多く使われており何となく不安になる軽さ……。

 肝心なレンズについても、通常のRollei35シリーズが4枚玉のTessarやS-Xenar、あるいは5枚玉のSonnarを採用しているのに対し3枚玉のTriotarを使用している。つまるところ総合的に徹底したコストダウンを行った末に生まれたのがRolleiC35というわけだ(とはいえそこはローライ、当時はやっぱりこれでも高かったそう)。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 ところでかつて、「安いフィルムと安いレンズで撮った写真は安っぽい写真になる」と言われたことがある。この記事に載せている作例は全て安いTriotarレンズと、安いKodakのフィルムで撮影されたものだ。

 果たして、これらが安い写真に見えるだろうか。

通り過ぎる一瞬を、

 普通のRollei35であれば低速もあるし、露出計もある。加えて枚数の多いレンズを使えるというのになぜC35を選ぶのかと問いただしたくなる人も居るに違いない。

 冒頭に述べた通り私はスナップを、通行人の目線で写真を撮る行為と解釈して取り組んでいる。通行人であるからには足は止めず、自分も背景に徹して、被写体の世界へ侵略しないようにする必要がある。

Rollei C35, Kodak Ultramax400

 露出計があれば確かに、或る程度正確に露出を測って安心してシャッターを切れるだろう。あるいは低速シャッターがあれば、薄暗くなった夕方でも被写体を探すことができるだろう。それだけ撮影の幅が広がる、言い換えれば選択肢が広がるわけだ。

 されど、選択肢が多くなれば人間は足を止め、悩まざるを得なくなる。

 足を止めることで少しでも被写体の世界に侵入してしまうくらいなら、いっそ選択肢は少ないほうがいい。

 低速シャッターが省略されているのは問題ない。高速側は1/500まであるのだから明るい内にスナップすればいい。露出計も同様に、ネガフィルムを使うのなら多少の誤差は大して気にならない。Sunny16の法則を脳内に叩き込んでおけばいい。

 気にする項目が減った分、シャッターチャンス探しに集中するだけだ。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

ライカ判暗器

 スナップにおいて、特に声がけをしない場合は被写体に(それがヒトであれ他の動物であれ)気づかれないに越したことはない。その点RolleiC35は優れている。

 第一にシャッター音が静かであること。コンパー製のレンズシャッターはレリーズの瞬間僅かに乾いた音を立てるのみで、例えばクイックリターンミラーを搭載したカメラのシャッター音とは比べ物にならない隠密性を誇る(とはいえ、色々なレンズシャッターを聞き比べるともっと静かなシャッターはあるのだが……例えばSEIKOSHA MXはかなり静か)。

 次いで優位なのはサイズ面である。ライカ判にしてはかなり小型なボディは片手でも十分にホールドできるため、場面によってはファインダーを覗かず、被写体の方も見ずにシャッターを切ることすら可能にする。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 ノールックで撮影する場合、本機の40mmと言う画角は過不足なく実にちょうどいい。35mmだと写真の情報量がやや増えがちになり、50mmだと被写界深度の不足もあって狙ったところを切り出せていない事態が起きうる。

 歩む足を止めないまま、何気なく通り過ぎながら撮影することについて(少なくとも、筆者の中では)このカメラの右へ出る機体はない。

 天気を見ながらシャッター速度ダイヤルと絞りを調整し、ピントをその日の気分に合わせる。あてもなく歩き、あたりを見渡し、運よく何かに通りすがったなら手の中に握りこんだままシャッターを切るーーそんなプロセスが、このカメラにフィルムをセットした瞬間から、まるで最初からプログラムされていたかのように体を動かしてみせる。

Rollei C35, Kodak Ultramax400

36コマの旅路

 旅行先にフィルムカメラを持っていくカメラ愛好家は一定数いるし、或いはカメラ愛好家でなかろうとも写ルンですを旅先へ持ち込む人間はやはりいる。旅先という特別な時間をデジタルデータのみならず物理的なモノへ記録することへの特別感;当世風に言うなればエモさはいつの時代も不変なのだろう。

 では、そうではない日常の風景を物理的なモノへ記録する行為の価値はそれに劣るものなのか。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 当然答えはNO、と言いたいところではあるが、これも結局撮影者次第であるから今ここで答えを出すことはできない。

 とりあえず、私の中ではNOだ。

 スナップは通行人の目線で作るものだから被写体依存にも思えるが、一方で何を見て、何を切り出すかの選択をすべて自己完結させているからして結局は100%自分依存のスタイルに他ならないと思う。

 故に、1ロール36枚(筆者は貧乏性なので36枚撮りのフィルムしか使わない)を通して見た時、そこにはある時間と空間を歩いて通り過ぎた自分の跡が輪郭として浮き出てくる。写った場所がわからなくても、何を思ってシャッターを切ったかはおぼろげながら思い出すことができるわけだ。

Rollei C35, Kodak ColorPlus200

 いい写真を撮りたいという輪郭の無い意識が常に意識のどこかに巣食っていて、どうしてもその重さに耐えかねた手足が一眼や二眼、中判に大判その他重いモノを一切合切拒否してしまう時がある。

 そういう時には何か適当にフィルムを詰めたRolleiC35を持って、とりあえず当てもなくさまようことにしている。そうして気負わずにシャッターを切っていくうちに自然と凝りがほぐされて、いつの間にかまた歩けるようになっているのだ。

 ある種の基準点というか、重心というか。

 私のRolleiC35は、あしを止めないためにある。

Rollei C35, Kodak Ultramax400

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